2019年05月29日
ZARD・坂井泉水さん~十三回忌~
5月27日
2007年の今日は決して忘れてはならない日。
僕が尊敬し愛した、ZARD・坂井泉水さんの命日。

このブログでZARDに関する思い出を結構まとめていたと思っていたけど、全然書いていなかった。
誰かのために書くのではなく、自分が思い出を振り返るために書くだけ...。
超久しぶりに引き出しをあさると、出るわ出るわ、ZARDに関する思い出のグッズ、資料たち。
当時からチラシ類も全部残していたので、懐かしいというか、”こんなものがあったんだ
”と記憶にもない驚きもあった。
表に出ない人だったので謎めいた人だったが、最期も闘病中の病院での転落死という謎めいたものだった。当時は”自殺”とかいろいろな噂話が飛び交ったが、病室でも次の詞を書いていたこと、ライブの計画を立てていたこと、病室の服や身の回りの整理整頓もされていなかったことなどから、事故という考え方が有力だった。でも、僕はそんなことより、たとえ自殺でも病院でするようなことはないと思った。坂井さんも人間。癌が判明した時、”怖い”とスタッフに相談したこともあり、精神的に不安定になり、もしかしたら自殺を考えることもあったかもしれない。しかし、病院がどんなところか、わからない坂井さんじゃない。日々生きようと頑張っている人たちの中で自殺をするような人じゃない。自ら周りに迷惑をかけようとする人じゃない。だから僕は事故だと思っている。
2007年5月27日、坂井さんが亡くなられてからちょうど1ケ月後、東京の青山葬儀場でファン向けの音楽葬「ZARD/坂井泉水を偲ぶ会」が行われた。その当時の新聞が残っていた。

夜遅くまでみんなで泣きながら歌ったことをよく覚えている。
たぶん、午後10時を超えていたような気がするが、近隣の方々、すみませんでした...

音楽葬に参加した方々に配られたカード。3枚持っている。
1回のお祈りだけでは足らず、時間をしばらく空けてもう1回来た気がする。
最後の1枚は、ファンクラブ会員全員に贈られたもの。
嘆かわしいことに、当時、ネットオークションにもたくさん出ていた

今でも毎年、東京、大阪に献花台が設置されている。
亡くなられてしばらくは追悼ライブが行われていたため、その参加とともに献花していたが、最近は出来ていない。献花の様子に関しては2014年に書いたので、興味ある方はそちらをどうぞ。
ZARDのファンクラブ「WEZARD」の入会グッズ。
左のカードとストラップが前期、右のカードとキーホルダー(なんです)が後期。
後期のカードは何かのイベントで一度だけ使った?...気がする...。

ファンクラブ「WEZARD」が発足する前もファンの方が発行?していたチラシがあった。
超初期からのファンはそれも持っているだろうが残念ながら僕の手元にはない。
これが記念すべき会誌「WEZARD」の第1号
引き出しの中でちょっと曲がっていた...

表紙をめくると坂井さんからのメッセージが!! その横には1999年の船上ライブの案内が!!
600人しか参加できなかった幻の船上ライブ。一部映像は公開されている(ビデオCD)が、今でもDVD化されておらず、全貌は行った人にしかわからない。


会誌は2004年の初のライブツアー時に発行された24号から紙質が上質になった(右上の重なった会誌の上にある会誌)。最終は52号。左下の会誌である。今ではネットで情報配信するファンクラブが増えたが、やっぱり冊子の方が温かい感じがする
ちなみに今ではモバイルファンクラブになってしまったが、僕は入会していない。意味は...特にない。

会誌52号の最後のページ、最後のメッセージ。
この時点で坂井さんはすでに亡くなられているから、文字は坂井さんのものだが、スタッフの心遣いによるもの。「WEZARD」のスタッフの対応はとても迅速で丁寧。今でも感謝している。

「WEZARD」の運営終了が年度途中になったため、会費の返金か記念品かの選択ができた。
当然ながら記念品を選択。返金といっても年4回、しっかりした会誌が届いて2000円ですよ、たった2000円!!
なんとファンに優しいことか
他ファンクラブの相場は4000円だったと思うが。
ただ、唯一の欠点を言うと、ライブグッズ含め、グッズの値段がかなり高かった...

坂井泉水さんについて書かれた公式本は1冊。
追悼本なので、当然悪いことは何も書かれていないが、実際は妥協なくぶつかり合う現場、いろいろあったと思いますよ
坂井さんも寝坊したり、降りる駅を間違えたりといろいろありましたからね

生前からたまに非公式の本も出ていたが、公に姿を現さない当時は僕たちにとっては貴重な情報源だった。下の写真以外にも発行された本はあるが、僕は持っていないようだ。

坂井さんが亡くなられた後、様々な週刊誌が坂井さんについての記事を書いた。
知っている限りはすべて持っている。当時はある週刊誌が誹謗中傷を書いてファンの怒りを買ったが、その週刊誌もある。昔から「フライデー」という雑誌は坂井さんについての記事をよく書いていた。まともに顔もわからない僕たちにとって、OL時代の写真などは貴重だった。「フライデー」という雑誌はZARDに対してとても優しかった印象がある。手元にもそれなりに残っており、下の写真はその一部。

いろいろな雑誌で取り上げられた、名曲「負けないで」の歌詞。
当時、公式にレプリカが限定販売された。もう2度と復刻されないだろう、貴重な宝物
額装は最初から。シリアルNo.があるが、全部で1253個販売されたみたい。


今年、4月20日にNHK BSプレミアムで特番が放送された。

この番組は本当にいい内容だった
誰でも好きなミュージシャンについてはいろいろ詳しいと思うけど、ZARDは元々極端に露出が少なかったから、少しの情報でも知識として蓄えようとするんですよね。だから、一般的なミュージシャンに比べて、知っている量は少ないかもしれないけど、コアなファンほど公開された情報はほとんど知っている。坂井さんはカメラを向けると緊張することからジャケット写真なども隠し撮りしたものも多い。レコーディングスタッフは膨大な量の記録を持っていながら、僕たちが知っているのは公開されたほんの一部。今回の番組は未公開だったものも多く、観ていてとても楽しかった
また、たま~にでもこんな特番をしてもらえるとうれしいな...
それでは最後になりますが...今なおZARDのファンであられる方のために...僕からの贈り物
ZARDのライブツアーは2004年が最初で最後になってしまった。幸運にも僕は、初日の大阪、中日の名古屋、最終日の東京に参加できた。坂井さんがこの先亡くなるなんて当時は誰も想像できず、最初は超プレミアだったチケットも追加に追加された講演にネットは転売に溢れかえった...
しかし僕は、ライブ中の数少ない坂井さんのMCは、しっかり坂井さんを見据えながらも一言一句、表現まで思い出として残るように記録として残した。ただし、MC中、会場の拍手などの中で聴いているので細か~~い部分に間違いはあるかも。TV放送で使用されるのはDVDに収録されたMCだけだが、公の場で僕たちファンに対して残した最後の言葉は、最終日・日本武道館の言葉。ライブに行けなかった方々のために、15年後の今日、これらの言葉を贈ります。

MC① ”揺れる想い”の後
「え~、ZARDのコンサートへようこそ!! 今日は、え~、どうぞ最後まで楽しんでいってください!!」
MC② ”You and me(and・・・)の後
「え~、最終日、え~、武道館もこれでこのツアーの最後となりました。えぇぇ...寂しいです...ウフフフ。あの~本当にあの、メンバーの皆さんもそうですけども、忙しい中、あの、リハーサルをしてくださいましたし、あの~、ここの舞台には立ってませんけども、あの~、裏方と言うか、この舞台を作り上げたり、え~今皆さんの近くにも実はこう...リサーチしている、え~、スタッフの方もいるんですけども、あの、そういった大勢の、え~、周りの方に、え~、すごく感謝しています。え~、もちろん、え~ファンの皆様があって、え~、ZARDがあるわけですけども、あの、まあ私も一度も会えないでこのツアーを終わってしまう、あの、スタッフの方もいるんですけども、本当にあの~、え~、このツアー...というか、コンサート?、皆さんに会えてよかったと思っています。え~、現在もあの、次の詞をえ~、実は作っているんですけども、本当に言葉っていうのは大切だな~と、え~、日々思います。これからも言葉を大切にして、え~、音楽を作っていけたらと思います。聴いてください。
MC③ ラスト曲”Don't you see!”の前、武道館公演のみ、当時の新曲「かけがえのないもの」を披露。
「え~、ここでちょっとだけなんですけども、新曲を...」 ← もはや幻。参加した人だけが味わえた幸福。
MC④ ラスト曲”Don't you see!”後。これが生前最後の言葉。
「今日は本当にどうもありがとうございました。え~、来ていただいた感謝の気持ちを忘れないようにこれからも頑張ります。また会いましょう!!」

2007年の今日は決して忘れてはならない日。
僕が尊敬し愛した、ZARD・坂井泉水さんの命日。

このブログでZARDに関する思い出を結構まとめていたと思っていたけど、全然書いていなかった。
誰かのために書くのではなく、自分が思い出を振り返るために書くだけ...。
超久しぶりに引き出しをあさると、出るわ出るわ、ZARDに関する思い出のグッズ、資料たち。
当時からチラシ類も全部残していたので、懐かしいというか、”こんなものがあったんだ

表に出ない人だったので謎めいた人だったが、最期も闘病中の病院での転落死という謎めいたものだった。当時は”自殺”とかいろいろな噂話が飛び交ったが、病室でも次の詞を書いていたこと、ライブの計画を立てていたこと、病室の服や身の回りの整理整頓もされていなかったことなどから、事故という考え方が有力だった。でも、僕はそんなことより、たとえ自殺でも病院でするようなことはないと思った。坂井さんも人間。癌が判明した時、”怖い”とスタッフに相談したこともあり、精神的に不安定になり、もしかしたら自殺を考えることもあったかもしれない。しかし、病院がどんなところか、わからない坂井さんじゃない。日々生きようと頑張っている人たちの中で自殺をするような人じゃない。自ら周りに迷惑をかけようとする人じゃない。だから僕は事故だと思っている。
2007年5月27日、坂井さんが亡くなられてからちょうど1ケ月後、東京の青山葬儀場でファン向けの音楽葬「ZARD/坂井泉水を偲ぶ会」が行われた。その当時の新聞が残っていた。
夜遅くまでみんなで泣きながら歌ったことをよく覚えている。
たぶん、午後10時を超えていたような気がするが、近隣の方々、すみませんでした...

音楽葬に参加した方々に配られたカード。3枚持っている。
1回のお祈りだけでは足らず、時間をしばらく空けてもう1回来た気がする。
最後の1枚は、ファンクラブ会員全員に贈られたもの。
嘆かわしいことに、当時、ネットオークションにもたくさん出ていた

今でも毎年、東京、大阪に献花台が設置されている。
亡くなられてしばらくは追悼ライブが行われていたため、その参加とともに献花していたが、最近は出来ていない。献花の様子に関しては2014年に書いたので、興味ある方はそちらをどうぞ。
ZARDのファンクラブ「WEZARD」の入会グッズ。
左のカードとストラップが前期、右のカードとキーホルダー(なんです)が後期。
後期のカードは何かのイベントで一度だけ使った?...気がする...。
ファンクラブ「WEZARD」が発足する前もファンの方が発行?していたチラシがあった。
超初期からのファンはそれも持っているだろうが残念ながら僕の手元にはない。
これが記念すべき会誌「WEZARD」の第1号

引き出しの中でちょっと曲がっていた...

表紙をめくると坂井さんからのメッセージが!! その横には1999年の船上ライブの案内が!!
600人しか参加できなかった幻の船上ライブ。一部映像は公開されている(ビデオCD)が、今でもDVD化されておらず、全貌は行った人にしかわからない。
会誌は2004年の初のライブツアー時に発行された24号から紙質が上質になった(右上の重なった会誌の上にある会誌)。最終は52号。左下の会誌である。今ではネットで情報配信するファンクラブが増えたが、やっぱり冊子の方が温かい感じがする

会誌52号の最後のページ、最後のメッセージ。
この時点で坂井さんはすでに亡くなられているから、文字は坂井さんのものだが、スタッフの心遣いによるもの。「WEZARD」のスタッフの対応はとても迅速で丁寧。今でも感謝している。
「WEZARD」の運営終了が年度途中になったため、会費の返金か記念品かの選択ができた。
当然ながら記念品を選択。返金といっても年4回、しっかりした会誌が届いて2000円ですよ、たった2000円!!


ただ、唯一の欠点を言うと、ライブグッズ含め、グッズの値段がかなり高かった...

坂井泉水さんについて書かれた公式本は1冊。
追悼本なので、当然悪いことは何も書かれていないが、実際は妥協なくぶつかり合う現場、いろいろあったと思いますよ


生前からたまに非公式の本も出ていたが、公に姿を現さない当時は僕たちにとっては貴重な情報源だった。下の写真以外にも発行された本はあるが、僕は持っていないようだ。
坂井さんが亡くなられた後、様々な週刊誌が坂井さんについての記事を書いた。
知っている限りはすべて持っている。当時はある週刊誌が誹謗中傷を書いてファンの怒りを買ったが、その週刊誌もある。昔から「フライデー」という雑誌は坂井さんについての記事をよく書いていた。まともに顔もわからない僕たちにとって、OL時代の写真などは貴重だった。「フライデー」という雑誌はZARDに対してとても優しかった印象がある。手元にもそれなりに残っており、下の写真はその一部。
いろいろな雑誌で取り上げられた、名曲「負けないで」の歌詞。
当時、公式にレプリカが限定販売された。もう2度と復刻されないだろう、貴重な宝物

額装は最初から。シリアルNo.があるが、全部で1253個販売されたみたい。
今年、4月20日にNHK BSプレミアムで特番が放送された。
この番組は本当にいい内容だった



それでは最後になりますが...今なおZARDのファンであられる方のために...僕からの贈り物

ZARDのライブツアーは2004年が最初で最後になってしまった。幸運にも僕は、初日の大阪、中日の名古屋、最終日の東京に参加できた。坂井さんがこの先亡くなるなんて当時は誰も想像できず、最初は超プレミアだったチケットも追加に追加された講演にネットは転売に溢れかえった...


MC① ”揺れる想い”の後
「え~、ZARDのコンサートへようこそ!! 今日は、え~、どうぞ最後まで楽しんでいってください!!」
MC② ”You and me(and・・・)の後
「え~、最終日、え~、武道館もこれでこのツアーの最後となりました。えぇぇ...寂しいです...ウフフフ。あの~本当にあの、メンバーの皆さんもそうですけども、忙しい中、あの、リハーサルをしてくださいましたし、あの~、ここの舞台には立ってませんけども、あの~、裏方と言うか、この舞台を作り上げたり、え~今皆さんの近くにも実はこう...リサーチしている、え~、スタッフの方もいるんですけども、あの、そういった大勢の、え~、周りの方に、え~、すごく感謝しています。え~、もちろん、え~ファンの皆様があって、え~、ZARDがあるわけですけども、あの、まあ私も一度も会えないでこのツアーを終わってしまう、あの、スタッフの方もいるんですけども、本当にあの~、え~、このツアー...というか、コンサート?、皆さんに会えてよかったと思っています。え~、現在もあの、次の詞をえ~、実は作っているんですけども、本当に言葉っていうのは大切だな~と、え~、日々思います。これからも言葉を大切にして、え~、音楽を作っていけたらと思います。聴いてください。
MC③ ラスト曲”Don't you see!”の前、武道館公演のみ、当時の新曲「かけがえのないもの」を披露。
「え~、ここでちょっとだけなんですけども、新曲を...」 ← もはや幻。参加した人だけが味わえた幸福。
MC④ ラスト曲”Don't you see!”後。これが生前最後の言葉。
「今日は本当にどうもありがとうございました。え~、来ていただいた感謝の気持ちを忘れないようにこれからも頑張ります。また会いましょう!!」

Posted by TAKACCHI at 00:45
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